東京地方裁判所 昭和37年(ワ)2407号 判決 1969年3月29日
原告 西條寅雄 外三名
被告 影山力 外二名
主文
一、原告らが別紙目録記載(一)の土地につき、通行権を有することを確認する。
二、被告らは、別紙目録記載(二)の(1) および(2) の各板戸ならびに(二)の(3) のコンクリート塀を撤去せよ。
三、被告らは、原告らが別紙目録記載(一)の土地を通行することを妨害してはならない。
四、原告らの主位的請求を棄却する。
五、訴訟費用は被告らの負担とする。
六、この判決の第二項は、原告らが各自金一五万円の担保をたてたときは、仮りに執行することができる。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、原告の求める裁判
主文一、二、三、五項と同旨の判決ならびに第二項につき仮執行の宣言。
二、被告の求める裁判
1、原告らの請求をいずれも棄却する。
2、訴訟費用は原告らの負担とする。
第二、当事者の主張
一、請求原因
1、(一)昭和三〇年八月一五日訴外野村茂は、原告小山武正、訴外秦野貞夫および同真山蔵助の三名を代理して、訴外篠崎美代との間に、同人は原告小山、訴外秦野および同真山に対し、同人らの家屋(原告小山の家屋は(イ)、東京都豊島区池袋四丁目一、七九二番地の四所在・家屋番号同町八四一番の一一・木造柿板葺平家建居宅一棟建坪七坪七合五勺、秦野の家屋は(ロ)、同所同番地の一所在・家屋番号同町八四一番の九・木造柿板葺平屋建居宅一棟建坪七坪七合五勺、真山の家屋は、(ハ)、同所同番地の五所在・家屋番号同町八四一番の七・木造瓦葺平家建居宅一棟建坪六坪三合七勺)の存続する限り、別紙目録記載(一)の土地(以下単に「本件係争地」という。)を通路として使用させる旨の使用貸借契約を結んだ。
(二)昭和三〇年一一月八日秦野は訴外井口多美子に、昭和三二年六月二五日同人は原告西條寅雄に順次右使用借権たる通行権を譲渡し、篠崎はそれぞれそのころ右各譲渡を承諾した。
(三)昭和三二年七月一七日真山は訴外柴田とらに、昭和三五年三月三一日同人は原告広瀬国作および同広瀬はつみに前記使用借権たる通行権を譲渡し、篠崎はそれぞれそのころ右各譲渡を承諾した。
(四)ところで、篠崎は昭和三五年四月一五日被告らに対し、本件係争地を含む東京都豊島区池袋四丁目一、七九二番の六・宅地四五坪を売渡した。
(五)被告らは同日ごろ原告らに対し、同人らの本件係争地に対する通行権を認める旨の意思表示をなし、前記(一)の篠崎の使用貸主たる地位を承継した。
2、仮りに右の主張が認められないとしても、原告らは民決二一三条二項の準用により本件係争地につき囲繞地通行権を有するものである。すなわち、
(一)東京都豊島区池袋四丁目一、七九二番・宅地二一二坪(別紙図面(ル)、(ム)、(チ)、(ワ)、(ヨ)、(レ)、(ル)の各点を結ぶ直線で囲まれた土地)は、もと野村の所有であつた。そして、右土地は同図面(ル)、(ム)の二点を結んだ直線、同図面(ワ)、(ヨ)の二点を結んだ直線および同図面(ヨ)、(レ)の二点を結んだ直線の部分において公道に接していた。
(二)右土地は、昭和三〇年五月二六日同番の一(一七八坪二合五勺)と同番の二(別紙図面(タ)、(レ)、(ヌ)、(ネ)、(タ)の各点を結ぶ直線によつて囲まれた部分、三三坪七合五勺、以下単に「(二)の土地」という。)の二筆に分筆され、野村は右(二)の土地を同年五月二〇日訴外榊原喜代平に売渡した。
(三)右同番の一の土地は、昭和三〇年八月八日同番の一(八二坪二合五勺)、同番の三(別紙図面(ヨ)、(タ)、(ネ)、(カ)、(ヨ)の各点を結ぶ直線によつて囲まれた部分、二四坪、以下単に「(三)の土地」という。)、同番の四(同図面(ソ)、(ヲ)、(ト)、(ヌ)、(ソ)の各点を結ぶ直線で囲まれた部分、一三坪五合、以下単に「(四)の土地」という。)、同番の五(同図面(ツ)、(ロ)、(ヲ)、(ソ)、(ツ)の各点を結ぶ直線で囲まれた部分、一三坪五合、以下単に「(五)の土地」という。)、および同番の六(同図面(イ)、(ロ)、(ツ)、(ル)、(イ)の各点を結ぶ直線で囲まれた部分、四五坪、以下単に「(六)の土地」という。)の五筆に分筆され、野村は右(三)の土地を同月三日訴外橋本利雄に、右(六)の土地を同月一五日篠崎にそれぞれ売渡した。
(四)右同番の一の土地は、昭和三一年七月二五日同番の一(別紙図面(ム)、(チ)、(ワ)、(カ)、(ト)、(マ)、(ケ)、(ヤ)、(ム)の各点を結んだ直線で囲まれた部分、七一坪二合五勺、以下単に「(一)の土地」という。)と同番の七(同図面(イ)、(ヤ)、(ケ)、(マ)、(イ)の各点を結んだ直線で囲まれた部分、一一坪、以下単に「(七)の土地」という。)の二筆に分筆され、野村は右(七)の土地を同月二三日訴外小林武雄に売渡した。
(五)ところで、野村は右(二)ないし(四)の各分筆がなされる以前である昭和二七年一月二六日(五)の土地を真山に、同年二月八日(四)の土地を原告小山に、(一)の土地の一部(別紙図面(ヲ)、(チ)、(リ)、(ト)、(ヲ)の各点を結んだ直線で囲まれた部分、以下単に「(一)の土地の(1) 」という。)を訴外小島喜次郎にそれぞれ賃貸し、原告小山、訴外小島、同真山はそれぞれその賃借土地上に前記1の(一)記載の(イ)、(ロ)、(ハ)の各家屋を所有していた。
(六)その後、小島は昭和二七年三月二六日秦野に右(ロ)家屋とその敷地である(一)の土地の(1) に対する賃借権を野村の承諾のもとに譲渡した。
(七)なお、前記(三)の分筆当時(一)の土地の一部(別紙図面(ク)、(ウ)、(リ)、(チ)、(ク)の各点を結んだ直線で囲まれた部分、以下単に「(一)の土地の(2) 」という。)は訴外中野正二郎に、同地の一部(同図面(ム)、(チ)、(ヲ)、(マ)、(ケ)、(ヤ)、(ム)の各点を結んだ直線で囲まれた部分、以下単に「(一)の土地の(3) 」という。)は訴外笠谷某にそれぞれ野村より賃貸されていた。
(八)したがつて、前記(三)に述べた篠崎に対する(六)の土地の譲渡により、(一)の土地の(1) 、(四)および(五)の土地は袋地となつた。
もつとも、(一)の土地の(2) および(3) は、(一)の土地の(1) 、(四)および(五)の土地とともに、依然として野村の所有ではあるけれども前記(七)に述べたようにそれぞれ別人に賃貸され、それぞれその賃借人の自由な使用に供せられているものであるから、このような場合には、(一)の土地の(2) および(3) が野村以外の人に所有されている場合と同視すべきである。
(九)秦野は昭和三〇年一一月八日井口に、同人は昭和三二年六月二五日原告西條に前記(ロ)家屋およびその敷地の賃借権を順次譲渡し、また、真山は昭和三二年七月一七日柴田に、同人は昭和三五年三月三一日原告広瀬国作および同広瀬はつみに前記(ハ)家屋およびその敷地である(五)の土地に対する賃借権を順次譲渡した。なお、原告ら四名はいずれもその家屋を取得したころ、その旨の登記を了した。
(一〇)よつて、原告らはいずれも民法二一三条二項の準用により本件係争地につき、いわゆる囲繞地通行権を取得するに至つた。
なお、本来囲繞地通行権は土地所有者相互間の土地利用の機能を発揮せしめることを目的としているものであるが、土地利用の態様として第三者に土地を賃貸し、その者において自ら家屋を建築して土地を利用する傾向の多いことに鑑み、土地の賃借権者にも民法二一三条二項を準用して囲繞地通行権の取得を認めるべきである。
(一一)篠崎は昭和三五年四月一五日(六)の土地を被告らに売渡し、被告らは本件係争地につき原告らの有する囲繞地通行権の受忍義務を承継した。
(一二)仮りに、被告らに民法二一三項二項による義務がないとしても、原告らおよびその家屋の前所有者らは専ら本件係争地を通路として使用してきたものであり、(一)の土地の(2) あるいは(3) に対し通行権を主張するとすれば、その地上の家屋の一部を収去しなければならない状態にあるので、本件係争地を通行するのが最も損害の少い方法であるから、民法二一〇条、二一一条による受忍義務がある。
3、しかるに被告らは、原告らが本件係争地につき通行権を有することを争つている。
4、のみならず、被告らは別紙目録記載(二)の(1) および(2) の板戸、(3) のコンクリート塀を建設所有して原告らが本件係争地を通行するのを妨害している。
5、よつて、原告らは被告らに対し、通行権(主位的には使用借権としての、予備的には囲繞地通行権としての)の確認と右通行権に基き板戸およびコンクリート塀の撤去(すなわち、主位的には使用賃借契約上の義務の履行として、予備的には囲繞地通行権に基く妨害排除の請求として)および原告らの通行妨害予防を求める。
二、請求原因に対する被告らの答弁
請求原因1の事実のうち
(一)ないし(三)の事実を否認する。
(四)の事実を認める。
(五)の事実を否認する。
同2の事実のうち、
(一)ないし(四)の事実を認める。
(五)ないし(七)の事実は知らない。
(八)の事実中、袋地となつたことを否認し、法律上の主張を争う。原告小山、訴外秦野および同真山の各借地は、篠崎が(六)の土地を買受けた当時、次のような三つの私道に接し、これにより公道に通じていたから、右各土地は袋地とはならない。
すなわち、
(イ)別紙図面(カ)、(ヌ)の二点を結ぶ直線の部分に沿つて巾約七尺の私道があり、これは同図面(ロ)、(ト)、(ヘ)、(ホ)、(ロ)の各点を結ぶ直線によつて囲まれた部分の私道と接続しており、これらの私道は、同図面(カ)点において公道に接し、更に、同図面(ヌ)点において、公道に接する隣地の私道に接続していた。
(ロ)更に、同図面(ロ)、(ツ)の二点を結ぶ直線部分に沿つてその北側に巾約一間余の私道があり、これは同図面(ツ)点付近において、公道へ通ずる隣地の私道へ接続していた。
(ハ)更に、同図面(ロ)、(フ)、(ム)の三点を順次結んだ直線の部分に巾約三尺の通路があり、これは同図面(ム)点の付近において公道へ接していた。
仮りにそうでないとしても、(一)の土地(請求原因2、(四)参照)(四)および(五)の土地はいずれも野村の所有であり、(一)の土地は別紙図面(ヤ)、(ム)の二点を結んだ直線および(ワ)、(カ)の二点を結んだ直線の部分において公道に接しているのであるから、(一)の土地の(1) 、(四)および(五)の土地が袋地になるいわれはない。
(九)の事実は知らない。
(一〇)の主張を争う。土地の賃借人自身が囲繞地通行権を取得するいわれはない。
(一一)の事実中、篠崎が原告ら主張の日にその主張の土地を被告らに売渡したことを認める。法律上の主張を争う。
(一二)の主張を争う。被告らは、(六)の土地を住居兼工場用建物の敷地として使用する目的で買入れたものであり、本件係争地には被告らの営む板金加工業の材料置場として使用するかあるいは家屋を建て増すつもりである。
同3の事実を認める。
同4の事実中、被告らが原告ら主張の板戸およびコンクリート塀を建設所有していることを認める。
(証拠関係)<省略>
理由
一、主位的請求について
原告らは、本件係争地につき使用貸借契約に基く通行権がある旨主張するので考えるに、
(一) 原告らの請求原因2の(一)ないし(四)の事実に当事者間に争いがない。
(二) 成立に争いのない甲第五ないし第七号証、証人野村茂、同小山恵子の各証言および弁論の全趣旨を綜合すると、訴外野村茂は、昭和二七年一月ごろ右(一)の土地の(1) 、(四)および(五)の土地上に、それぞれ建売住宅(原告らの請求原因1の(一)記載の(イ)、(ロ)および(ハ)の各家屋)を建て、そのころ(一)の土地の(1) 上の(ロ)家屋を訴外小島喜次郎に、(四)の土地上の(イ)家屋を原告小山に、(五)の土地上の(ハ)家屋を訴外真山蔵助にそれぞれ譲渡すると共に、それぞれの敷地を右各人に賃貸し、小島は、昭和二七年三月ごろその家屋と借地権とを野村の承諾を得て訴外秦野貞夫に譲渡したこと、野村は、右(イ)、(ロ)および(ハ)の建売住宅を建築したと同時に、(一)の土地の(2) および(三)の土地ならびに別紙図面(オ)、(ワ)、(ク)、(ノ)、(オ)を結ぶ土地上にも同様の建売住宅を建築して、その頃、これらをそれぞれ訴外中野正二郎、同橋本利雄、同鈴木某に売却し、それぞれその敷地を建物買受人に賃貸したことが認められ、右認定に反する証拠はない。その後野村が昭和三〇年八月一五日訴外篠崎美代に(六)の土地を譲渡したことは当事者間に争いがない。また、成立に争いのない甲第二号証の一ないし四、証人野村茂、同榊原喜代平、同笠谷かね、同橋本きぬよ、同中野もと子、同遠藤のぶ、同小山恵子、同西條美恵子、同黒田清次(一部)の各証言、原告広瀬国作本人尋問の結果および検証の結果ならびに弁論の全趣旨を綜合すると、右(六)の土地が譲渡された当時別紙図面(ヌ)、(ト)、(リ)、(ウ)、(カ)の各点を結ぶ直線に沿つて多少の空地はあつたが、いわゆる私道といえるような状態ではなく、特に同図面(ト)、(リ)、(ウ)、(カ)の各点を結んだ直線に沿つた部分は、その両側に前記橋本および中野所有の各家屋があるために、人一人が通れる程度で、傘などをさして通れるような状態ではなかつたものであり、この状態は、現在に至るまでなんら変更されていないこと、同図面(ホ)、(ハ)、(ツ)の三点を結ぶ直線に沿つて(六)の土地の板塀があり、これと(五)の土地上の(ハ)家屋との間に多少の空地があつたが、同図面(ツ)、(エ)の二点を結ぶ線分に近接して(ハ)家屋の物置があつたため、右空地部分は、人が通行し得る状態ではなかつたこと、同図面(ツ)、(エ)の二点を結ぶ線分の西側には、その東方の公道から右(ツ)(エ)方向に他人所有の空地があり、右空地は、(五)の土地の西側に接する他人所有の宅地上の家屋と右空地をはさんで向側の他人所有の宅地上に建てられた家屋のために東方の公道に至る通路として使用されていたが(五)の土地の前記空地が人の通行し得る状態ではなく、事実上何人も右空地を通行しなかつたので(五)の土地とは板塀によつて遮断され、さらに、右(ツ)(エ)の線分に接する右通路上には(ツ)(エ)の線分の中間から(ツ)点の方向にかけて、昭和一七年ごろから昭和三七、八年ごろまで訴外黒田清次の所有する仕事場が建てられており、さらに、同図面(ツ)、(レ)の二点を結ぶ直線に沿つては、枯木にまじつて篠竹が植えられており、右板塀は昭和三六年ごろ原告広瀬らが、当時その所有に帰していた(ハ)家屋の便所を改造するため右家屋を東に約一米曳いた際に取毀されたが、その際原告広瀬らは、右家屋の前記物置を取毀し、その跡に家屋を増築したので、右黒田の仕事場が取毀された後にも(ツ)(エ)の部分からの出入はできない状態になつており、この状態は、現在に至るもなんらの変更はなく、右部分には篠竹と枯木が植えられているほか、黒田仕事場跡には古瓦が積まれていること、同図面(ヌ)点付近において(四)の土地に接し西側へ伸びる道路は、前記(六)の土地の売買当時も現在も存在しないこと、(一)の土地の(3) および(七)の土地は右(六)の土地売買当時、野村が既に訴外神谷某に賃貸しており、神谷において同地上に三軒の建売住宅を建て、その各一棟がそれぞれ訴外笠谷某、同鬼頭定男、同小林武雄にそれぞれ譲渡され、それと共に神谷の借地権も右各人に譲渡され、その後鬼頭の家屋と借地権は訴外柴田に譲渡され、右各人がそれぞれ居住していたため、別紙図面(ロ)、(フ)、(ム)の各点を結ぶ直線に沿つた部分はもとより、同図面(ヲ)、(チ)、(ム)の各点を結ぶ直線に沿つた部分にも公道に至る通路はなかつたこと、さらに、右(六)の土地の売買当時から現在に至るまで、(一)の土地の(1) 、(四)および(五)の土地から公道に至るために利用できる通路としては、本件係争地とそれに続く同図面(ロ)、(ト)、(ヘ)、(ホ)、(ロ)の各点を結ぶ直線によつて囲まれた空地しかなく、このような状況の下で秦野、真山、原告小山およびその家族らは、本件係争地およびそれに続く同図面(ロ)、(ト)、(ヘ)、(ホ)、(ロ)の各点を結ぶ直線に囲まれた土地を公道へ出るための通路として使用しており、このような事情を了知していた篠崎は、(六)の土地のうち本件係争地を除く部分については坪当り金三、〇〇〇円の割合で買つたが、本件係争地については、野村からの「他の者が通路として使用していることを考慮して三分の一ほど値引きする。」という趣旨の申出に応じて、坪当り金二、〇〇〇円の割合で買い受けたものであり、原告小山らは篠崎が本件係争地を取得した後も、なお、従前どおりに本件係争地を通行していたことが認められ、右認定に反する証人篠崎美代、同篠崎晴寿、同柳沼敬重および同黒田清次(一部)の各証言、影山力本人尋問の結果はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
以上の認定事実によれば、秦野、真山および原告小山が本件係争地の使用貸借契約を締結するについて明示的に野村に代理権を与えた事実はないが、なお、同人らは本件係争地に関し、野村を代理人として、通行することを内容とする使用貸借契約を黙示的に締結したものと解することができる。
(三)、前掲甲第五ないし第七号証、証人西條美恵子の証言および原告広瀬国作本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を綜合すると、その後真山は昭和三二年七月ごろ前記(ハ)家屋を訴外柴田とらに売却すると共に、その借地権を野村の承諾を得て同人に譲渡し、柴田は昭和三五年三月ごろ同様にして右家屋と借地権を原告広瀬国作および同広瀬はつみに譲渡し、また、秦野は昭和三〇年一一月ごろ同様にして前記(ロ)家屋と借地権を訴外井口多美子に譲渡し、井口は昭和三二年六月ごろ同様にして右家屋と借地権を原告西條寅雄に譲渡し、右柴田、井口、原告広瀬国作、同広瀬はつみおよび同西條らはいずれも右のように家屋と借地権を譲り受けた後は、本件係争地をその前主と同様に通行していたが、篠崎はそれを知りながら何らの異議も申立てなかつたことが認められ、右認定に反する証人篠崎美代の証言は措信できず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
以上の認定事実からすれば、前記各家屋と借地権の譲渡に伴つて、本件係争地の通行権も譲渡され、篠崎は右譲渡を黙示的に承諾したものと解することができるから、原告らはいずれも本件係争地の通行権を篠崎に対する関係において有効に取得したものということができる。
(四)、その後昭和三五年四月一五日篠崎は本件係争地を含む(六)の土地を被告らに譲渡したことは当事者間に争いがない。
原告らは「被告らは、同日ごろ原告らに対し、同人らの本件係争地に対する通行権を認める旨の意思表示をなし、篠崎の使用貸主たる地位を承継した。」と主張するので考えるに、証人笠谷かね、同小山恵子および同西條美恵子の各証言には右主張に副う部分があるがたやすく措信できず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。かえつて、証人篠崎晴寿、同柳沼敬重の各証言、被告影山力の本人尋問の結果によると被告らは、篠崎から(六)の土地を買うに際しては一応その周囲の状況を調査し原告らが本件係争地を通行している事実を知つたけれども、他方、被告らは、右土地の譲受に際しては、売主たる篠崎に本件係争地が私道であるかどうかを確めたところ、「私道でも通路でも何でもない。」という趣旨のことを言われ、また、同人からは、別紙図面(ロ)、(ホ)を結ぶ部分に三本の杭を打ち、そこに板を張つてその通行を遮断した状態で(六)の土地の引渡を受けたこと、および、その後間もなく原告らから本件係争地の通行権を認めるように要求されたが、これに応ぜず、数回交渉したが、結局解決するに至らないで本件紛争になつたことが認められ、この事実に、前述のように別紙図面(ト)、(リ)、(ウ)、(カ)の各点を結んだ直線に沿つた部分が、まがりなりにも人の通れるような状態にあつたことをも併わせ考えると、被告らは、(六)の土地の譲受に際しては、本件係争地を通行する者があることは知つていたが、原告らが本件係争地について前述のような使用貸借契約に基く通行権を有することまでは知らず、従つて、原告らの通行権を承認する意思はなかつたものと認められる。しからば、被告らが篠崎の使用貸主としての地位を承継したということはできないので、原告らの主位的請求は理由がない。
二、予備的請求について
次に、原告らは、本件係争地について囲繞地通行権を有する旨主張するので考える。
(一) 原告らの請求原因2の(一)ないし(四)の事実は当事者間に争いがなく、前掲甲第五ないし第七号証、証人野村茂、同小山恵子、同西條美恵子の各証言、原告広瀬国作本人尋問の結果および弁論の全趣旨を綜合すると、原告らの請求原因2の(五)、(六)、(九)の事実および昭和三〇年八月八日当時(一)の土地の(2) は野村から中野に賃貸されていたこと、そのころ(一)の土地の(3) および(七)の土地は野村から神谷に賃貸されており、神谷から更に、(七)の土地は小林に(その後前述のように昭和三一年七月二三日野村から小林に譲渡された。)、(一)の土地の(3) は笠谷および鬼頭に賃借権が譲渡され、右鬼頭の賃借権は更に柴田に譲渡されたことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。しかして、昭和三〇年八月一五日野村が(六)の土地を篠崎に譲渡した当時から現在に至るまで(一)の土地の(1) 、(四)および(五)の土地から公道に至る通路の状況は、主位的請求(二)において認定したとおりであつて、本件係争地とそれに続く別紙図面(ロ)、(ト)、(ヘ)、(ホ)、(ロ)の各点を結ぶ直線によつて囲まれた空地の他には公道に至る通路はない。また、被告らが昭和三五年四月一五日(六)の土地を篠崎から譲受けたことは当事者間に争いがない。
(二) 原告らは、「昭和三〇年八月一五日野村から篠崎に対する(六)の土地の譲渡により、(一)の土地の(1) 、(四)および(五)の土地はいわゆる袋地となり、右各土地の賃借権を譲受けた原告らは、いずれも民法二一三条二項の準用により本件係争地につき、いわゆる囲繞地通行権を取得した。」と主張するのに対し、被告らは、「(一)の土地、(四)および(五)の土地はいずれも野村の所有であり、(一)の土地は別紙図面(ヤ)、(ム)の二点を結んだ直線および(ワ)、(カ)の二点を結んだ直線の部分において公道に接しているのであるから、(一)の土地の(1) 、(四)および(五)の土地が袋地になるいわれはないし、また、土地の賃借人自身が囲繞地通行権を取得するいわれもない。」と抗争するので考えるに、この問題を単純化すると次のようになる。すなわち、第一に、同一所有者に属し且つ隣接するA、B両地がそれぞれ別人に賃貸されており、B地(本件では(一)の土地の(3) がこれにあたり、(一)の土地の(2) とこれに続き且つ公道に接する別紙(ワ)、(カ)、(ウ)、(ク)、(ワ)の各点を結ぶ直線に囲まれた部分が右の各地と所有者を同じくするのでこれに準ずるということができる。)は公路に接しているが、A地(本件では原告らが野村より賃借している(一)の土地の(1) 、(四)および(五)の土地がこれにあたる。)が公路に接していない場合に、A地を袋地ということができるかという問題、第二に、第一の問題が肯定された場合において、右のA地がさらに、所有者を異にし且つ公路に接しているC地(本件では(二)、(三)、(六)の各地がこれにあたる。)に隣接している場合において、C地の所有者との関係において、A地をなお袋地ということができるかという問題、第三に、第二の問題が肯定された場合において、A地の賃借人は賃借権者たる地位においてC地に囲繞地通行権を主張しうる場合があるかという問題、そして第四に、C地ももとA、B両地の所有者と同一の所有者に属しており、先ずA、B両地が賃貸され、最後にC地が譲渡されたために、Cの譲渡によつてA地が袋地となつた場合にも、民法二一三条二項は準用されA地の賃借人はC地について無償の囲繞地通行権を取得するかという問題がこれである。そこでこれらの問題点につき順時検討するに、囲繞地通行権は、隣接する不動産の「利用関係」の調整を目的とする相隣関係の一場合であるから、土地所有権の内容を土地の「価値」に対する権利と「利用」に対する権利とに分けた場合に、後者に関する権利であることは明らかである。ところが民法二一〇条一項は、「或ル土地カ他人ノ土地ニ囲繞セラレテ公路ニ通セサルトキハ其土地ノ所有者ハ公路ニ至ル為メ囲繞地ヲ通行スルコトヲ得」と規定しているので、囲繞地通行権の権利義務の主体として、土地の所有者を予定していることは明らかであるが、囲繞地通行権の理念が前述のとおり、「利用関係」の調整にある以上、民法二一〇条以下の規定は、その理念に照らして、右の限度に止まらず、所有権者以外の土地利用権者のためにも、その性質に反しない範囲および態様において準用されるべきものであるといわなければならない。このように解するならば、前述の第一の問題はこれを肯定すべきものである。次に第二の問題を考えるに、囲繞地通行権が隣接土地の利用関係の調整を目的とするものである以上、袋地と同一所有者に属する土地を通つて公路に出られる限り、原則として他人の土地の利用を許さないとするのが公平の観念に合致するであろう。この意味ではC地の所有者に対する関係ではA地は袋地ではないといつてもよさそうであるが、一方、C地が譲渡される前にB地上に家屋が建つていて、A地の賃借人がB地を通行するためにはこれを一部取毀わさなければならないが、C地上には何もないので自由に通行できるような場合を考えてみると、右のように、A地がC地所有者との関係においては袋地にはあたらないと断定してしまうことは、かえつて公平な土地の利用関係の調整という目的に反する場合を生ずるであろう。ことに建物所有を目的とする土地の賃借権については借地法によつて強力な保護が与えられ、土地の利用権は半ば所有権譲渡に近い程度において賃借人に移転されるのであるから、A地がC地所有者との関係において袋地であることを否定することの不都合さは一層明白であるといえる。むしろB地がA地と同一の所有者に属し、C地とA地とは所有者を異にするという事情は、民法二一一条一項の「通行権ヲ有スル者ノ為メニ必要ニシテ且囲繞地ノ為メニ損害最モ少キモノ」の判断の際の資料として考慮すれば充分であると考える。このように考えると、袋地所有者に不当な利得を与え、囲繞地所有者に不当な損害を与えるようにも思えるが、民法二一二条は、「通行地ノ損害ニ対シテ償金ヲ払フコト」をも予定しているのであるから、著しい不公平はこの規定を利用することによつて避けることができるであろう。従つて、第二の問題もまた肯定されるべきである。ところで、囲繞地通行権は、囲繞地の利用(通行)を妨げられることが実質的には袋地の利用そのものを妨げられたのと異らないことから、袋地利用の妨害の除去すなわち囲繞地の利用(通行)を請求しうるという権能に外ならない。この意味では、囲繞地通行権はいわば物権的妨害排除請求権の性質をもつものということができる。従つて、所有権以外の土地利用権について民法二一〇条以下の規定を準用する場合においても、当該袋地と所有権者を異にする囲繞地について通行権を主張する場合には、当該権利が、第三者に対して妨害排除請求をなしうる場合に限られるものと解さなければならない。これを土地の賃借権についてみるに、それが妨害排除請求をなしうるのは、その賃借権が対抗力を具えた場合に限るものと解すべきものであるところ、本件においては、前認定のように、原告らは(一)の土地の(1) 、(四)および(五)の土地上にそれぞれ家屋を所有し、且つその家屋につきいずれも所有権取得登記を了して、その借地権につき対抗力を具えているのであるから、原告らは民法二一〇条一項の準用により、囲繞地通行権の主体たりうるものというべきである。従つて第三の問題もまた肯定される。最後に第四の問題について考えてみるに、前述のように、A地がC地との関係でもなお袋地ということができるにしても、A地の賃借人は原則としてB地を通行するのが信義公平の原則の要求するところであるというべきであるから、C地の譲渡によつてA地が袋地となつた場合において、民法二一三条二項の準用を認めて、A地の賃借人が直ちにC地上に無償の囲繞地通行権を取得すると解することは、隣接土地の利用関係の調整という理念に反することになつて許されず、この場合にはむしろ原則にもどつて、民法二一一条一項の「通行ノ場所及ヒ方法ハ通行権ヲ有スル者ノ為メニ必要ニシテ且囲繞地ノ為メニ損害最モ少キモノ」との要件が充足されるかどうかが、あらためて検討されなければならないというべきである。
以上の説示により(一)の土地の(1) 、(四)及び(五)の土地は、昭和三〇年八月一五日野村から篠崎に(六)の土地が譲渡された時以来袋地になつたものであるというべきである。
(三) 進んで、しからば、右袋地の賃借人たる原告らはどの囲繞地に通行権を取得しているのであろうか。以上の認定事実からすれば、本件係争地を除いては、原告らの通常の通行を可能ならしめるためには、周囲のいずれの土地を利用するにしても、現に存する家屋の一部を除去しなければならないのに対し、本件係争地についてはそのような事情にはないことは明らかであり、かつ従前原告らは専ら本件係争地を通行していたものであることもまた明白であるから、これら事実を考慮すると、前述した土地の所有関係を併わせ考えても、原告らをして本件係争地たる幅員二米七糎、長さ一六米六糎(右事実は検証の結果によつて認める。)の被告ら所有土地を通行せしめることが、必要にして且つ囲繞地のため最も損害の少い方法であるとみるのが相当である。これを要するに、原告らは民法二一〇条、二一一条の準用によつて本件係争地につき囲繞地通行権を有するものというべきである。なお原告らは、篠崎に対しては、本件係争地につき使用賃借に基く通行権を有していたのであるから、(六)の土地が野村から篠崎に譲渡された段階では未だ原告らの借地は袋地とはいえないとの考え方もありうるであろうが、民法二一〇条にいう「公路」とは、公道又は公衆の自由に通行しうる私道をいうものと解すべく、原告らが使用貸借契約に基く通行権を有するとの一事によつては、未だ本件係争地が公衆の自由に通行しうる私道となつたものとはいえず、他に特段の事情も認められないから、この見解は採用できない。従つて、原告らは篠崎に対しては、本件係争地につき、囲繞地通行権と使用貸借契約に基く通行権とを有していたが、後者のために前者は顕在化しない状態にあつたものというべきところ、前述したように、(六)の土地が篠崎から被告らに譲渡され、原告らの使用借権が被告らに対抗できなくなつたために、この段階において右の潜在的に存した原告らの囲繞地通行権は顕在化したものというべきである。ところで、被告らは、「被告らは、(六)の土地を住居兼工場用建物の敷地として使用する目的で買入れたものであり、本件係争地は被告らの営む板金加工業の材料置場として使用するか、あるいは家屋を建て増すつもりである。」と抗争し、被告影山力本人尋問の結果によれば、被告らが本件係争地を板金加工場の材料置場として使用する意向を有していることが認められる(この認定に反する証拠はない。)が、前述のように、原告らの借地をとりまく周囲の状況が篠崎が(六)の土地を取得したときと同様の状況であり、且つ、被告らが本件係争地を取得する際に右のような状況を知つていたものであることをも併わせ考えると、被告らが本件係争地を被告らの主張するが如き目的で取得したものであつても、なお原告らをして本件係争地を通行せしめることが、囲繞地のために最も損害の少い方法であることに変りないものということができるので、被告らは右所有権の取得により、本件係争地に対する原告らの通行権を受忍する義務を負担するに至つたというべきである。
しかるに被告らが別紙目録記載(二)の(1) および(2) の板戸、(3) のコンクリート塀を建設所有していることは当事者間に争いがなく、右事実によれば、被告らが原告らの本件係争地の通行権を争い右物件を設置してこれを妨害しており、かつ、将来もこれを妨害するおそれがあることは明らかであるから、通行権の確認、物件の撤去、妨害の予防を求める原告らの本訴請求はいずれも正当であるからこれを認容し、右物件の撤去を求める部分についてはその必要性が充分認められるので、民事訴訟法一九六条一項により仮執行の宣言を付し、訴訟費用については同法八九条、九三条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 西山要 吉永順作 瀬戸正義)
別紙
目録
(一)東京都豊島区池袋四丁目一、七九二番の六
一、宅地四五坪のうち、東側の九坪の部分(別紙図面(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)、(イ)各点を結ぶ直線にて囲まれた部分)
(二)右(一)の土地のうち
(1) 別紙図面(イ)、(ニ)の二点を結んだ直線の部分に存在する巾、高さいずれも約二米の板戸
(2) 右図面(ホ)(コ)の二点を結んだ直線の部分に存在する巾約〇・九米、高さ約一・五米の板戸
(3) 右図面(ロ)(ハ)の二点を結んだ直線の部分に存在する巾約二米、高さ約二・七米のコンクリート塀
別紙図面<省略>